プログラマーの朝礼
「習う」と「学ぶ」
もう随分と前の話になりますが、愚息が小学校の担任の先生に「〔学ぶ〕と〔習う〕はどこがちがうの?」と質問したことがあります。と言うのも、小学校の校歌に次の一節があったからです。
・・・ 誠捧げて共に学び 共に習う 日高 日高 楽しき我が故郷 ・・・
その担任の先生は、「〔習う〕は人のことをまねする事」「〔学ぶ〕は自分で勉強する事」と教えて下さったそうです。内心、本当に良い先生に担任になってもらって良かったと思いました。素晴らしい教え(言葉)です。
通常、○○教室の場合、「○○を習いに行く」と言います。そろばん、習字、英会話、パソコンなどが代表格でしょうか(いわゆる、習い事です)。では、このような場合、なぜ「○○を学びに行く」と言わないのでしょうか?「そろばんを学びに行く」と言う子はいませんよね。この表現だと、何かそろばんの歴史や構造を勉強しに行くように聞こえます。
思うに、息子の担任の先生がおっしゃったように、人に「習い」、自分で考えこれを「学ぶ」。これが勉強の基本かと思います。「習う」とは手本となる人がいて初めて成立する行為であり、「学ぶ」のは自分一人でもできます。ただ、一般には、
(学ぶ) ⊃ (習う)
と言う関係があり、「学ぶ」は「習う」も含んだ表現だと思います。
プログラミングの格言に、次のようなのがあります:
「可能な限り、コードを盗め」 Whenever possible, steal code. -- Tom Duff
既にあるものは可能な限り使うべきです。先人の書いた偉大なコードは大いに再利用すべきです。
プログラミングに挫折した方、「学ぶ」ことだけをしてませんでしたか?人に「習い」ましたか?まずは、先輩や先生に習って、最初のうちは、徹底的に人まねをしましょう。自ら創造するのはその後でも遅くはありませんから。